ひげぐま先生の2026年2月

目次

”「人と関わりずらい」に想う”2026.2.20(fri)

 心理学的に言うと、今の人間関係の原型は、1歳ごろまでの人間関係、すなわち親子関係にある。だから、その頃の親子関係の未処理の感情が、今の人間関係に影響し、心理的な問題を引き起こしている。

 例えば、1歳頃までの両親の離婚により「父の不在」又は「母の不在」が生じれば、思春期以降に自己のアイデンティティの確立に支障をきたし、不登校、ひきこもりを引き起こす。拙著「小さな人間たちの詩」に、何件かその実例を示している。

 従って、その「未処理の感情の処理」をカウンセリングで行えば、その解決が見えてくる。この30数年間、そんな経験を何回となく経験してきた。しかしよく聞かれるが、そのカウンセリングのマニュアルはできない。価値観が時代とともに常に変化するから、その解決方法も変化せざるを得ないからである。 

”自立学習”2026.2.19(thu)

 長年不登校の子どもたちと対応していると、子どもたちは、勉強する=授業を受けると思い込んでいるのではないかと思う。彼らは、不登校=授業を受けられない=勉強ができない、と思い込む。勿論、そんなことはない。教科書があれば、きちんと勉強できる。教科書は「自主学習」用に作られている。

 それは、大学受験を教科書と参考書で乗り切った私ゆえに思うことかもしれない。教科書を読めば、基礎基本原理はもれなくしっかり説明されている。参考書や東進の授業は、教科書に示された基礎基本原理を理解させる授業力である。授業は、あくまでも教科書の内容を理解させる「補助的なもの」にすぎない。

 そもそも通信制は、学校で授業を受けられない子どもたちの学習の場であった。だから、通信制=「自立学習」の場である。より何のために勉強するのかの意識付けが要求される。その目的のため通信制は、スクーリングはあっても基本的には教科書だけで主体的に学ぶ場である。不登校=授業を受けない=勉強ができないと思っている子どもたちの場ではない。

 次年度県内に新たな3つの通信制高校が生まれる。今の通信制高校は、不登校生をその対象にしているのが現実である。より「自立学習の場」である通信制高校が、学びにアクセスしない子どもたちを対象としていることに矛盾を感じる。不登校の子どもたちを受け入れるのであれば、まずは彼らに学びの本質を理解させ、主体的学習を身に付けるように指導すべきであると思う。勿論、一部の通信制高校では、しっかりとそのように指導している。

 特に一昨年から東進の模試に、通信制高校生が多く受験してきてくれる。ところが、彼らは大学進学意欲があっても、主体的な学習が身に付いていない。彼らの模試結果から、そう思わざるを得ない。彼らの通信制高校の指導を疑ってしまう。

 私達は予備校や居場所などで、子どもたちの「自立学習」を支援している。自立学習、主体的な学習こそが、学びの本質であると思うからである。

”愛情と愛着”2026.2.18(wed)

 「ショウコの微笑」ーハンジとヨンジューで語られた言葉。親のない2頭のサイの子を、約9カ月育てて、野生に返すプロジェクト。いざ草原に放つとき、人は情が移り、野に返したくなくなる。放たれたサイの子は、こちらを振り返りながらも、草原に進んでいく。そんなとき、そのプロジェクトのリーダーの言葉に感動した。「愛情と愛着は区別しなければならない。自分たちのために野生動物を傍に置こうとするのは、(愛着であって)真の愛情ではない。」と。

 同書ー彼方から響く歌声ーに、主人公が「ドストエフスキー記念館」を訪れた時、壁に彼が描いた子どもたちの肖像画が掛けられていたという描写があった。拙書「小さな人間たちの詩」ーひとりの子どもの涙は、人類すべての悲しみより深いーで、ドストエフスキーの言葉を引用させて頂いたが、当時ドストエフスキーが子どもたちの肖像画を描きながら、その子どもたちのそんな心理を読み取り、そう表現したんだろうと思った。

 また、同書に「幼い子どもって、大人の言葉は全部本当のことだと信じて受け止めてしまうものなんですよ。一生その言葉とともに生きていくんです」との一文があった。これは、交流分析で言うところの「禁止令」のことである。13年前、当時29歳のチェ・ウニョンさんが、人の心理を心理学的な視点でこう表現している。

”学びに想う”2026.2.17(tue)

 ビリギャルの本に刺激を受け、本気で慶応大学を目指すと宣言して勉強を始めたKちゃん。今日もお母さんに送ってもらい、朝10時半から18時まで、8時間勤務ならず、勉強に励んでおります。小学校高学年から不登校を経験。当然に基礎学力が身に付いておらず、悪戦苦闘の毎日。でも、あえて「慶応大学を目指す」と宣言して自分を鼓舞する。まさに「主体的な学習」を目の前にしている。本気で「学ぶにアクセスする」子どもの姿である。

 彼女が中学2年生の時、祖母からの相談を受け対応し、ガールスカウト活動をきっかけに数か月後、再登校を果たした。自らのアイデンティティの不安定さから不登校に至った彼女であったが、半ば強引な形での再登校であった。しかし、その後、父親との交流で自らのアイデンティティが確立し、真の意味で自立を果たした。

”宇都宮大、東京理科大、明治大、法政大、中央大・・と合格の朗報が続く”2026.2.16(mon)

  もう50年、この時期に次々に届く「合格しました!」との朗報に、思わず笑みが漏れます。受験月に入り、受験生は皆、自宅学習日に。今朝も、朝9時過ぎ(開校9:30なのに)から受験生が勉強に来ます。そして、夜10時までこの時期、ひたすら過去問に挑戦しながら、AIが作った「志望校別単元ジャンル演習」で、その生徒自身の弱点単元を解きつぶしていく。そうして受験日前日まで、その大学の入試に出る単元は完全に解ける学力を身に付け、それを確認する。いよいよ今週末が、国公立大学の個別試験。頑張れ!受験生。

”「小さな人間たちの詩」編集完了”2026.2.15(sun)

 本来今日は休みだったんですが、職員の都合で出勤。ついでに表題の作業をし、完了しました。「小さな人間たちの詩」を、小中高生編、若者編、大人編、交流合宿編、心理・教育論編に分けました。

 元々は子どもたちの人間性が現れるちっぽけな光景を描き始めました。しかし、不登校・ひきこもりが話題になり、不登校・ひきこもりの心理状態とその対応を知りたいとの要望が多く寄せられ、それに応える形で不登校・ひきこもりの心理状態を描くようになりました。

 しかし、2000年度のゆとりのある教育への大変化に時代が様々に変化し、特に不登校・引きこもりの心理的素因も変化してきました。勿論、以前からの素因もあります。「ゆとりのある教育」への大変革や携帯・スマホ時代への変化で、新たな素因が生み出されたと言った方が正しいかもしれません。それをそうした子どもたちの様々な生き様から感じ取ってもらいたいと思い、書き綴っております。

 そして、総じて社会性を有する人間故、その社会性の未成熟で起こる不登校、ひきこもり。その個々の素因を科学的に分析し、その素因から解消することは可能です。それは本人のみならず、保護者や周りの人達も含めた人達への対応となります。勿論、解消=社会的自立であって、解消=再登校だけではありません。この30余年の経験からそう確信しております。是非その実例であるこの「小さな人間たちの詩」をお読みください。

 学びの多様化の名のもとに、一部にカリキュラムに馴染めない子どもの存在を是認し、本来知的好奇心を有する子どもに自立的教育しない。結果、認知能力と非認知能力が共に育つことなく、社会に送り出され、社会の中で路頭に迷う若者たち。それ故に、今回その書籍化を目論んでいる次第です。なお、「小さな人間たちの詩」は、これまで使ってきた仮題です。

”「小さな人間たちの詩」の書籍化に挑戦”2026.2.14(sat)

 今日は、バレンタインデー。チョコレートが体質に合わない私メにとっては苦痛の日ですが、嬉しいですねえ。我が職員からは、チョコレートに変えて、私メの好きな*****のバレンタインデー。当然「義理チョコ」にしても、嬉しい限りです。ありがとうございます。

 昨日の話題のKちゃん。今日も終日、当予備校で勉強しています。頑張れ!Kちゃん。

 そんな折、拙著「小さな人間たちの詩」。いよいよ書籍化に挑戦します。今や全国35万人の不登校の子ども達の親たちにとって、この「小さな人間たちの詩」は大変興味を持つだろうとの評価を頂き、編集作業に入りました。

”2年振りにKちゃんに会う”2026.2.13(fri)

 びっくりしました。今日10時10分に、「お久しぶりです。突然の連絡ですみません。**Kです。先生にお会いしたいのですが、ご都合よろしい日時はございますか?」とメッセージが来た。2年前、不登校だった彼女の母親から相談を受け、対応した子だった。丁度メディアの取材を受けていた時で、すぐには返事できず、30分後に返事をし、本日13時にお会いした。現在は、県立高校の通信制の課程に在籍する1年生だった。

 聴くに、ビリギャルで慶応大学に入学した本を読み、私も大学に行きたいとのことだった。ビリギャルが小学校4年生から勉強をやり直したと読み、自身は小学校3年生からの問題集を買い、5分の1程度は既にやってあった。教務主任と一緒に調べて、慶応大学法学部志望、受験科目は英語、世界史、小論文で挑戦することになった。そして、東進の荒巻先生の「世界史の見取り図上・中・下」と、大岩先生の「はじめての英文法」を注文し、毎日ここに来て、勉強をスタートすることになった。

 心理テストを採ると、CP(父性)とFC(感性)が高く、中程度のNP(母性)とA(知性)、低いAC(順応性)、自分を厳しく、意欲は旺盛、自己肯定感を持ち合わせているKちゃん。それ故に、上記の対応をした。彼女の本気度を見守っていこうと思う。注文したテキストは、それ故のプレゼントである。

”「小さな人間たちの詩」の校正完了”2026.2.12(thu)

  その昔を思い浮かべながらの校正作業。正直のところ、なかなか楽しい作業である。人が読みやすい文章にと考えながら、自ら描いた文を校正する中、やはり自分の想いで一気に書く文の方が自分ではスッキリする。時折交流分析的視点を書き加える。長年学んできた交流分析の自分なりの視点である。その評価は、お読み頂く皆様にお任せする。とりあえず一通りの校正は完了したが、いくつか納得がいかないところもあり、3月末を目途に、再校正していきます。そして、4月から書籍化に向けての段取りが始まります。

”田中宝紀さんに10数年久しぶりにお会いする”2026.2.11(wed)

 田中さんは2010年から当時の内閣府・国際移住機関の委託事業「虹の架け橋教室事業」を共に運営してきた「同志」(大変失礼ながら)である。当時は大人の日本語指導マニュアルはあったが、子どもの日本語指導マニュアルはなく、確か全国50数の同教室のみんなで作り上げてきた「同志」である。

 2月11日の静岡県国際交流協会主催のイベント「静岡県日本語ボランティアセミナー2026」にNPO法人青少年自立援助センターの田中宝紀さんの基調講演があることを菊川小笠教室の職員から聞き、本業の休みを申請し参加した次第です。

 以前ニッケイ新聞(当時)の深沢正雪氏が述べていたが、日本語を母語としない子ども達が日本人の高校進学率と同じ進学率を示して初めて「多文化共生」と言えると思う。確かに現実的にそれは大変厳しいことである。

 現状、98%以上の日本人中学生の高校進学率に対して、外国人(日本語を母語Ⅼとしない中学生)の高校進学率は約48%。

 田中宝紀さんの基調講演を聴いて、この課題に共通の認識を持っていることを知り、ホッとした次第です。日本語を母語としない子どもたちの高校進学を阻むものは、受験科目の教科理解である。しかも、それを母語でない日本語で理解し、日本語で答えるは不可能に近い。

 一昨年からe-Edcationの協力の元、この課題の解決に取り組んできた。それが小島祥美・東京外国語大学准教授が言うところの、教科を母語で思考し、日本語で表現する方法である。三輪さんが考案したmanafullである。それを菊川小笠教室で実験的に採用し、効果を得て、掛川・菊川市内の小学校で実践している。

 ひいては、これが日本語を母語Ⅼとしない中学生の高校進学に寄与することを目論んでいる。