目次

有名になりたい  2025年3月8日

 身近で会えるアイドルから始まったAKB48たちやご当地アイドル、誰もが簡単に自らを世に発信できるX(旧ツイッター)・インスタグラム、・・・そんなことから、簡単に「有名になれる」と思うのかなあ?今の小中高生は。

そして、有名になって稼ぐ、Gamerに、You Tuberになるから、学校に行く必要性を感じない子ども達までも出てくる。

不登校の子ども達やひきこもっている若者たちと接していると、よく出会うこの言葉、「有名になりたい」。

勿論、夢を追うことはいいことだよ。でも、ホントにそう思うんだったら、その実現のために、夢中になんなよ、がむしゃらにやれよ、と言いたい。

「有名になれる」ために、毎日、自分は何をしてるか、現実を見つめなさいよ。空想しているだけでは、それこそ絵にかいた餅だよ。小学高学年、中学、高校は、もう空想する時期じゃあないよ。

自分を見つめ、将来の自分を描く時期だよ。だから、友達は、自分の将来、目標に向かって、日々勉学に、部活やスポーツクラブに打ち込んでいる。

自分の道は、自分で切り開くものだよ。人にお膳立てしてもらうものではない。そんな甘えでは、いつになっても自立できない。

「有名になれる」ためにしっかり計画を立て、本気になって取り組めば、周りは必ず応援してくれるし、同じ志を持った仲間もついてくる。本気で取り組めば、周りが有名にされてくれる。

教室を掃除してましたら、こんなイラストが! 2025年3月7日

あまりにもリアルなんでここで掲載するのもどうかと思いましたが、見事なイラストなんでやっぱり載せちゃいました。

当時、私達の対応で不登校を克服した当スクールの中学3年生の女の子の作品です。確かに不登校だった彼女の妹や弟はカヤック体験に行ったけど、本人は行かなかったですよ。私のバンダナは、ブレイクダンスの剛史君(ダンサー名・TSUYOSI)にもらったのをきっかけに、当時は確かにバンダナをしてましたけど、本人は私が焼酎好きなのは知らないはずなのに、なぜ?しかも、彼女と会うのは塾だけなんで、絶対に私がお酒を飲んでる姿は見てないはずだけど。彼女は私の目の前の席だから、PCを使う私の姿はよく見れてました。

中学3年生の女の子の作品。様々な山下先生が描かれている

こちらも不登校を克服した中学2年生の女の子から、私の誕生日に頂いた色紙。でも、私は日本酒は飲まないんだ。だから、いくら限定品でも「山下酒」に抱き付くことはないよ。

中学2年生の女の子の作品。山下先生が「山下酒」に抱き着いている絵の作品

どうして円の面積は半径×半径×π? 2025年3月7日

予備校を起業した頃、週1回、小学生から大人まで、無学年で様々なことを考え、学ぶ講座で、表題の問題をコンパスやハサミ、紙などを使って、みんなで考えた。その時、当時小学校2年生の女の子が、こう答えました。

「円の上から円の真ん中まで切って、右と左に広げたら、三角になるじゃん。わたし、三角の広さの出し方は知らないけど、三角の広さの出し方でできると思うけど。」

図形の図

円は伸ばさないで広げれば、確かに三角形になりそうだ。

そこで、同席していた中学生のお姉ちゃんに、円周は直径×πで、その直径は半径×2、三角形の面積は「底辺×高さ÷2」と教えられ、
「それじゃあ、
円の面積=「三角形の面積」
    = 底辺×高さ÷2 =(半径×2×π)×半径÷2
    = 半径×半径×π
となる。」と。


受講者全員から、拍手喝さいを浴びた。
(説明上、パワーポイントを使用しました。)

中学3年生、難問に取り組む 2025年3月7日

昨夜、中学3年生の数学の授業が個別指導にも入り終わり頃、一人の生徒からこんな質問をして来ました。

「円に外接する四角形の対角線が直交するのって、証明できますか?」
「うん??」
聞けば、学校の授業中彼の友達が偶然そんなことを見付けたらしく、先生に質問し、時間もなくその場では答えが出なかったらしいんですね。

ちょうど今日の授業も円の所でしたので、みんなでその証明に取り組むこと1時間。一つの弧に対する円周角は等しいから、二つの円周角の辺が直交することもあるじゃん。でも、円に接するいろんな四角形を書くと、対角線は直行しないのばっかりだよ。・・・

結局、外接円の中心が直交する対角線の交点の時という特殊な場合では証明できたのですが、一般的な場合は証明できず、来週までのみんなの宿題とし、答えを持ち越すことになりました。

それにしても、次の理科の授業を潰してまでも、みんなで取り組むその姿を見て、ちょっと嬉しくなっちゃいましたね。ただ、時間内にみんなで答えが出せず、それは悔しい限りです。

結構面白く、もしかして新発見では、なんて内心ちょっと期待しながら、現実、まさかそんなことはないだろう、なんてこの1週間、私も頑張って考えたんですが、1週間後の数学の授業。

みんな一人ひとり考えてきたことを発表し合いました。残念なことにいろんな場合を考えていくと、やはり対角線が直交しない場合が出てしまいます。中学校でも先生がそうおっしゃってくれたそうです。

結局、「外接円の中心が直交する対角線の交点の時」、即ち四角形が正方形の場合とか、一つの弧に対する二つの円周角の交わった辺が直交する場合とか、特殊の場合は対角線が直交するのですが、その他の場合は直交してないと、みんな納得。

でも、1つの問題に夢中になって必死に取り組む姿を垣間見ることができ、正直ほっとしております。
 今日も夜12時近くまで、かの国立H大学を目指すY君、難関の私立大学W大を目指すT君らは、私が今日受講した東進衛星予備校生の受講ノートにコメントを書いている間中、自習室で黙々と勉強しておりました。

若き世捨て人?それとも・・・ 2025年3月6日

 10月、中間試験後。
でもね、どう対応しようか、考えてました、中学3年生男子のこと。中学2年生の2,3学期時の出席は、30日に満たない。しかしながら、私が対応してから数ヶ月余り後の中学3年生の1学期は、ある医師も驚く信じられない程の回復(?)で、でも、本人にとってみると、ただ「格好悪いから」との理由で、ほぼ皆出席。元々学力のある生徒で、1学期中間試験は軒並み40点台。

 ところが、期末試験前に体調を崩し、休みがちに。それ故に、期末試験も一部の科目の試験が受けられなくなり、1学期の成績は燦々たるもの。そのショックで夏休みは極度に落ち込み、2学期も平均すれば、週休2日ならぬ、”週出席2日”。

遠方のためなかなか会えないので、いよいよ彼に電話を入れた。
「う~ん、もう、どうでもいいや、自分は。何もしたくないし、何も考えたくない。」
と彼は言う。
「そうかあ、そうなの。別にいいじゃん。そうだったら、何にもしなくても、何にも考えなくたってもね。ただね。今の君のそうした選択は、勿論のこと、自分が考えたこと、自分がしていることであって、だれからも指図されてのことでない、紛れもなく君の選択なんだよね。そうした決断ができるようになったことは、君にとっては大きな成長なんだよね。」
「えっ!大きな・成・長?」
「そうじゃない、この時代に世捨て人を選択するなんて、すごい度胸だよ。」
「ちょっと待って!俺は、仙人なんかにはならないよ。それじゃあ、生活できないよ。」
「えっ!『なにもしたくないし、何も考えたくない』じゃあなかった?」
「ちがうよ。ちょっとここんとこ、テストの点数が取れず、そう思ってたんだ。」
「だって、週出席2日だろ。いくら学力のある君でも取れんでしょう。ましてや、休んでも家で勉強しないんだから。1学期の中間試験の時を思い出しなよ。2年の2,3学期殆ど学校に行かなかったけど、全教科40点台を取ったんだよ。それでも世捨て人になる?大したもんだけど、それこそ格好悪くない?その歳で仙人だよ。」
「いや、俺は大学に行く!」
 
彼は、その翌日に授業復帰。近くの公立高校に進学し、その言葉通りその高校でトップクラスの成績を修め、推薦で大学に進学した。

U君、どうしたん? 2025年3月6日

午後5時過ぎ、そのお母さんから電話を頂いた。
「Uが、また学校を休みがちなんです。どうしましょう?」
「いや、私も、彼の友達から伝え聞くに、U君の様子でちょっと気になることがあるんです。ただ明日、あさっては朝から授業と用事がありまして時間が取れませんので、夜遅くなりますが、今夜10時、私の運営する予備校でいいですか?」
「いいです、お伺い致します。」

ところが、10時直前に高校3年生の受験相談が入り、15分ばかり待って頂いた。
 当時、学校を休みがちだった彼のお母さんが学校に相談に行ったところ、その中学校の別の不登校の生徒の対応をしておりました私をご紹介頂き、彼と初めて面談したのが1年半程前。約半年の対応で授業復帰した。

しかし、2ヶ月ほど前から学校から帰って来るなりそのまま自分の部屋に入ったまま眠り込んでしまうことが多くなり、この頃は再び学校も休みがちになったと言う。

お母さんには席を外して頂き、彼と二人きりでお話をさせて頂いた。大きくなった体格とは正反対に気が小さく、弱そうな様子で、勉強にすっかり自信を失っており、話すのもポツリポツリだった。1時間余対応し、彼を帰した。

暫くしてお母さんから電話があった。面談するのも嫌がった彼が、
「面談の帰りの車の中では信じられないほど明るくなり、『俺、もう一度あの先生ところに行く。』と言ったんです。どのような話をなさったんですか?」
と母親。

別に特別なことをしたわけでもありません。その時はただ自信を付けさせるために、数学の教科書を使って、まず教科書をじっくり読ませ、例、例題の解き方をきちんと理解させ、その解き方でそのあとの問いを解かせたんですね。そうして彼のペースに合わせれば、解けるんですね。勿論、ここが分からないと言えば、分かるまで説明をしたんですが、そうしたら解けたんで、ここだけの話、べた誉めしたんですね。

「ほら、解けるんじゃない、いいねえ。その調子で次をやってごらん。そうそう、それでいいんだよ。できるんじゃない。」

 勿論、その後彼は学校も休むことなく、部活に”燃えて”いた。当スクールの他の学校の生徒とも仲良くなり、この頃は授業の合間には結構楽しくしゃべっている。

小学2年生の感激 2025年3月6日

 久しぶりにさんかく山(藤枝市助宗)頂上の”おれっちの砦”(ツリーハウス)に行ってきました。参加者は寂しいかな、小学2年生の男の子、たった1人。でも、嬉しかったですね。その子はこの日初めて参加したんですが、ほんとすごく感激してくれました。

勿論、私とも初対面だったのですが、当フォーラム事務局から私の車・エスティマに乗り込むや、彼はさんかく山の頂上に着くまでの約15分程ずっとしゃべりっぱなしで、いろんな話をしてくれました。

その間2度ハンドフリーの私の携帯に電話が入ると、不思議そうに聞き耳を立てたり、車が山を登り始め、窓下に急斜面がそそり立った。

「ワアー!」と歓声をあげる。最後の急斜面を一気に車で登り頂上に着き、眼下に広がる藤枝市内を見下ろしながら、再び感激の声。自然に感情が表れる。

やはり子どもなんですね。暫く風雨に晒され、クモの巣の張った砦を二人できれいし、一部を修繕。かなづちを持つのは初めてという彼に、砦の登りばしごのくぎ打ちをやって貰いました。

任されると、一生懸命やるんですね。でも、力不足でなかなかくぎが入っていかない。おまけに、かなづちがなかなかくぎに命中しない。

その姿を見ていた私は思い余って、かなづちは平らな面と丸い面があることを、彼に触らせて教えると、
「どうして?」
と聞いてくる。
「くぎを打つときは平らな面で、最後に丸い面でくぎの頭を埋め込んだよ。」
と答えると、
「そうかあ、だからさっきは、くぎの頭をうまく打てなかったんだ。」
と、また感激。時折腕を振り、肩をほぐしては、やっとのことでくぎを2本打ち込んだ時の彼の顔も、またよかったですね。

 そして、その彼のおじいちゃんから、下の写真の手作りの灰皿(でも私、たばこは吸いません)を頂きました。穴の掘りぬきも見事ながら、周りの亀3匹がなんともかわいいです。くるみの実の甲羅に、竹の枝の足、どんぐりの実の頭に目がちゃんと埋め込まれております。その表情がとても豊かです。
ありがとうございました。

手作りの灰皿の写真

 3年後の7月5日夕方、そのおじいちゃんがお亡くなりました。思えば、彼が前述のおれっちの砦作りに参加した前の年、SBS静岡放送・日本医師会テレビ健康講座「ふれあい健康ネットワーク 不登校への理解と支援」で、当フォーラムが紹介されました番組をご覧になり、当時不登校になっていましたお孫さん(彼のお兄ちゃん)を案じ、当フォーラムの事務所の地名と入り口の映像だけを頼りに(運送業を営むおじいちゃんで、一度当事務所に荷物を届けたことがあったようで)、はるばる私を尋ねてきて頂いたのが、初めての出会いでした。私の女房もホントびっくり致しました。

そのお気持ちに感動し、私も他県に住むそのお孫さんの不登校解消に向けて、約一年の間取り組ませて頂きました。その間、おじいちゃんにも何度となくお会いし、リハビリを兼ねて作られた、竹や小枝を利用して作られた動物の置物(上記の灰皿もその一つ)をたくさん頂きました。不思議でした。
お亡くなりになったその時間に、私は塾に飾られたその置物について、一人の高校生と話してしていたんですね。ご冥福をお祈り致しました

ほぼ4年振りの学校 2025年3月6日

小学校3年生の頃から学校に行けなくなってしまいました小6の女の子が10日程前、ほぼ”4年振りの学校”を体験してきました。

彼女の学校の教頭先生が偶然にも私の高校の時の同級生。その気安さからその2日前の午前の当フォーラムでの指導中、彼女と学校の話になりまして急に行くことになったんです。

午後2時前、彼女の家の近くで待ち合わせ、私の車に乗ってすぐ近くの小学校に行き、30分ほど教頭先生や担任の先生とお話しておりましたら、前日彼女からの電話で彼女の登校を知った仲のいい友達が面談している会議室の入り口の所に来たんです。

「ちょっと一緒に学校巡りでもしたら」との教頭先生からの提案に、最初はちょっと渋った彼女は、その友達の誘いもあって一緒に”ほぼ4年振りの学校巡り”することになりました。

私達を会議室に残し、学校巡りをして約30分、なかなか戻って来ず。担任の先生が学校内を探しに行ったら、他の友達とも出会ったようで話が弾み、スポ少で卓球をやっていたので、体育館に卓球も見に行きたいとの話になったようですね。「でも、山下先生も待ってるから」と担任の先生に促され、会議室に戻ってきました。

「先生、私、まだ学校にいたいので、帰りは友達と一緒に帰るから」と言われ、4時過ぎ私は学校を後にして、運営する予備校に戻りました。

結局、彼女は5時過ぎまで、なんと3時間余も”学校”を体験してきたようです。その夜10時頃、お母さんから驚き&大喜びのお電話を頂きました。本人は家に帰ってからはその日会った友達達と電話三昧。本当に楽しかったようで、夕食時はその話で持ちきりだったようです。

これまで一生懸命彼女の対応を手伝ってくれたスタッフのМちゃん、Fちゃん、本当にありがとうね。長く不登校になっていたものの、様々な活動を通じて新たな人間関係ができ、それが元で先日のような体験ができた彼女は、当フォーラムでの勉強に弾みがつき、1週間後の定期試験後に、授業復帰しました。

拒食 2025年3月3日

先日、長く病院にかかってきたが、その原因が分からず、私の元に来た女子中学生の拒食の相談があったんです。
 
話を聴くと、ダイエットではない。中学校に上がり、初めて始めた部活や勉強の緊張感やストレスで食べれなくなったと、彼女は認識しているんです。
 
心理学的に拒食は、自分は生きていてはいけないんだ、成長してしてはいけない、大人になってはいけないんだと思い込む、そんな禁止令が働いているとみることがあります。

例えば、人生早期の幼児期に、両親の激しいいバトル、そう、激しい夫婦喧嘩を目の前にすると、自分のことが原因と思い込み、私はこの世に生まれてきていけないんだ、存在してはいけないんだ、成長してしてはいけない、と幼児決断し、それが深層心理に落ち込み、何年か経って拒食となって現れることがあるんです。

ご両親から詳しい成育歴を聴いていくうちに、その子の幼児期から小学校低学年まで、毎日繰り返されたお父さんとおじいちゃんとの激しいいバトルに思い当たったんです。

そして、カウンセリングでその子の「再決断」を試み、拒食が改善しつつあるですが、そうした「幼児決断」に、摂食障害の原因を求めることがあるんです。

即ち、彼女に「幼児決断」した小さい時、自分のことが原因と思い込んだ頃を想い出して頂き、当時のお父さんとおじいちゃんとの間で繰り返されていた激しい喧嘩の原因は、おじいちゃんの一方的な意見の押し付けをお父さんが拒否したことであって、自分のことではなかったことを冷静に再認識させる、という「再決断」という作業をするんですね。そうして、「未処理」の思い込みを「処理」します。

(2022月6月4日放送 FM島田「ひげぐま先生の相談室」から)

僕のお父さんはね・・・ 2025年2月11日

夏の西伊豆町で行われた交流合宿の初日。

小学二年生の彼にとって、それは初めて親元を離れての宿泊体験だった。

夕暮れになる頃、彼は強いホームシックに襲われ、声をあげて泣いた。涙がようやく落ち着いたあと、担当していた女子学生のリーダーに、ぽつりぽつりと語り始めた。

「ぼくのお父さんはね……」
彼の父は、高校卒業後すぐに働き始めた。二十八歳のとき、大手スーパーに引き抜かれ、翌年副店長に昇進した。友人の紹介で出会った母と結婚したのもその頃である。

「お父さんの一目ぼれだったんだって」
彼は誇らしげに笑った。

副店長となった父の生活は過酷だった。朝七時に店を開け、夜十時に売上金の計算を終えて閉店する。幼い彼が目を覚ます頃には父は家を出ており、帰宅する頃には彼は眠っていた。歩き始めた姿さえ、父は見ていないという。
「お父さん、ぼくの寝顔しか見たことなかったんだって」

四歳のとき、両親は共働きで貯めた五百万円を頭金に建売住宅を購入した。
「すごいでしょ?」

しかし、その頃から父の忙しさはいっそう増した。彼には、父と遊んだ記憶も、ゆっくり話した記憶もない。

そして彼が五歳のとき、父は突然亡くなった。
「かろうし? だったんだって」

言葉の意味を十分に理解しているわけではない。それでも彼は続ける。
「でもね、お父さん、すごいでしょ。二十九歳で副店長になったんだよ」
父の“自慢話”は、二時間近く途切れることなく続いた。

実際には、父は自死であった。

このような場合、家族は子どもを守ろうとするあまり、亡き父の話題を避けがちになる。母親もまた、突然の喪失に深く傷つき、語ることができなくなる。子どもはその空気を敏感に察し、父について尋ねなくなる。

こうして「語られない父」は、子どもの心の中で曖昧なまま凍結される。

アイデンティティの形成期において、「父の不在」は自己像の不安定さに直結することがある。事実、彼は小学一年生の二学期から不登校となり、母親が相談に訪れた。

もちろん、父が不在であっても、母親が情緒的に安定し、安全基地として機能していれば影響は小さい。しかし、最愛の伴侶を突然失った母親が揺らぐのは当然である。母子双方が、言葉にできない喪失を抱えていた。

私は母親と祖父母に、あえて父の存在を「肯定的に語り続ける」ことを提案した。
父がどのような人であったのか。
父ならどう言うだろうか。
父なら何を望むだろうか。

父を理想化すること自体が目的ではない。
子どもの内面に、温かな「内的父親像」を育てることが目的である。

交流分析(TA)では、人は幼少期の重要他者を内在化し、それを自我状態として取り込むと考える。とりわけ父母は、子どもの中に「親の自我状態(Parent)」として組み込まれ、自己規範や価値観の土台となる。

しかし、突然の喪失と沈黙は、その内在化のプロセスを中断させる。
語られない存在は、子どもの中で統合されず、「未処理の感情」として残る。
彼が合宿で語り続けた二時間は、単なる自慢話ではない。

それは、凍結していた父親像を、自らの中で再構築する時間だったのである。
繰り返される「すごいでしょ?」という言葉の奥には、
父を誇りに思いたい気持ち
父とつながっていたい願い

そして「ぼくも価値ある存在だよね?」
という確認が含まれていた。

これはストローク(存在承認)を求める必死の営みでもあった。
母親が「お父さんは天国から見守っているよ」と語り始めてから、彼の中に父は再び生き始めた。理想化された父親像は、彼の内的Parentとして取り込まれ、彼を支える存在へと変化していった。

その結果、彼は合宿の二週間後から再登校を始めた。

父の不在が問題だったのではない。
語られない父が問題だったのである。

子どもは、失われた存在を忘れることで回復するのではない。
語り、意味づけし、心の中に生かし直すことで、初めて前に進める。

彼が涙のあとに語ったあの夜の二時間は、
父を取り戻す時間であり、
自分を取り戻す時間でもあった。

今回は、非常に大事なテーマであるため、しっかりと深堀したい。
1.理想化された父親像の心理的機能
喪失体験後、遺された家族が亡き人を理想化することは自然な防衛でもある。
特に子どもにとっては、断片化された記憶を統合し、アイデンティティの空白を埋めるために「意味づけられた物語」が必要となる。
交流分析の視点では、これは
内在化される「Parent自我状態」の形成過程
ストローク飢餓への補償
未処理感情(グリーフ)の再構成
と理解できる。
本事例では、母親が「父は見守っている」「父は立派だった」と語り続けたことにより、子どもの中に肯定的な父親像が再構築された。その結果、
自己価値の回復
内的支持の形成
再登校という行動変化
が生じた。

ここまでは、理想化は治療的に機能している。

しかし、
理想化は、常に両義性を持つ。

2.理想化のリスク:批判的Parentの肥大化
理想化された父親像が強固に内在化されると、それは
柔軟な養育的Parent(Nurturing Parent)

ではなく、

過度に規範的な批判的Parent(Critical Parent)
として固定化される可能性がある。

特に、
「父のように立派にならなければならない」
「父の期待を裏切ってはいけない」
というメッセージが暗黙に含まれると、

ドライバー
「完全であれ(Be Perfect)」
「強くあれ(Be Strong)」
「もっと努力せよ(Try Hard)」
が強化されやすい。

すると、子どもは
「父のようでない自分は価値がない」
という脚本信念を形成する危険がある。

3.過剰同一化(Over-identification)の問題
喪失後の子どもは、しばしば「亡き親の代理」になろうとする。
これは無意識の脚本決断として、
「お父さんの代わりになる」
「お母さんを守る」
「弱さを見せない」
といった早期決断に結びつくことがある。

この過剰同一化が進むと、
自己の感情の抑圧
悲嘆の凍結
役割逆転(親子逆転)
偽りの適応(Adapted Childの肥大)
が起きる。

一見、よく頑張る子どもに見えるが、
内面では
怒り
寂しさ
父への問い
「なぜ置いていったのか」という無意識の怒り
が未処理のまま残存する。

TA的に言えば、
Free Childの感情が抑圧され、
Adapted Childが過度に優位になる状態である。
4.支援における重要なバランス
したがって、支援者は、
父を肯定的に語る
内的父親像を育てる
と同時に、
父は完璧ではなかったこと
父も疲れ、迷い、人間だったこと
子どもは父のコピーになる必要はないこと
を伝える必要がある。