ひげぐま先生の2026年6月
"書籍化、特定化に苦しむ”2026.6.6(sat)
不登校の子どもたちの様々な苦しみ。全国で35万人を超す不登校の子どもたちの生の姿を、皆さんに知ってもらおうとした今回の書籍化の試み。ところが、忠実に生の子どもたちの姿を描こうとすると、その子どもを特定化されてしまう。このところ、二十話のうち、二話が最後に残った。うち、一話は本日耕ちゃんによって修正ができた。最後の一話、やはりどうしても気になり、わがまま言って今、その修正を耕ちゃんにお願いしています。つくづく自分の文才の無さを痛感します。
"天安門事件”2026.6.5(fri)
1989年6月4日、民主化を求めて中国・北京の天安門広場に集まった学生らを、中国当局が武力弾圧をした事件である。当局は死者を319人としたが、正確な人数は分かっていない。習近平指導部は、この事件を「動乱」とみなして「負の記憶jとして消し去ろうとしている。
ここで政治的なことは述べたくないが、かつては法学生として大学に身を置いていた身として、この事件や香港の問題は考えざるを得ない。両手を広げ、戦車の前に立ちはだかった一人の学生の姿が眼に焼き付いている。
"台風6号”2026.6.4(thu)
一昨日の予報では昨日昼、静岡県直撃とのことで、昨日は県内の殆どの小中高校は臨時休校、JRも16時まで運休。それに準じて、菊川小笠教室、すまいるテラスも休校。ふじのくに中央日本語学校のみ、事前問い合わせがないため、通常開校のままにした。結果、静岡県直撃は避けられ、JRは10時半、運転再開したが、菊川小笠教室、すまいるテラスは休校のまま。ふじのくに中央日本語学校は、誰一人登校せず、定時並行。ここ数年そうしたことが続いている。
いつもこうした事態に判断に迷う。結果を見れば、月謝を頂いていることを考えれば、完全休校にせず、状況を見て開校時間を遅らせて開校する旨の判断でいいのだろうかと思う。
"ICT教育”2026.6.3(wed)
登校した生徒が席に着き、タブレット端末で体調や気分、悩みについての質問に、言葉を入力して答えるのではなく、顔スタンプで答える。自分の気持ちを言語化できないから、様々な表情の顔スタンプから、今の自分に最も近い表情の顔スタンプを選び、答える。教師をそれを見て、生徒たちに対応する。
今回の書籍化で、ICT教育以前の不登校に関して、これまでの私の対応の詳細が明らかになる。もちろん顔スタンプで、子どもたちの気持ちの入り口は分かる。でも、その後をどう対応するんだろう。生身の子どもたちの気持ちは、生身の人間が生身の気持ちをぶつけることで明らかになる。
"学び直し、成績評価「5」可能に”2026.6.2(the)
そもそも「成績評価」は、何のためにあるのだろう?絶対評価にしろ、相対評価にしろ、人が人を何のために評価するんだろう?しかも人を五段階で点数を付けるのである。それが高校入試の際に提出する「評価点」、俗にいう「内申点」につながる。
どうだろう?その「評価点」を失くし、現在の大学入試のようにする。例えば、初等教育機関・小学校は、地元の対象者を全て受け入れ、児童の初等教育を支援する。そこを卒業し、中等教育を望む者は、その学校の入学試験を受ける。その中等教育を行う機関・中学校は、入学希望者の最低必要な知識・技量を検査し、それに達していれば、受け入れる。同様に、高校及び大学、専門学校、親方、会社が同様な検査を行い、受け入れる。もちろん、受け入れる人数に限りがある。しかし、同様な教育を行う機関は、現実にいくつも存在する。その入試、入社試験には、評価点は不要である。
そうなれば、不登校であっても、中等教育、高校教育、大学教育、専門学校、親方の仕事、会社の仕事を受けたければ、自らそこで必要な学力・技量を身に付ける。その手段は自分で選ぶ。どうだろう?
"もう6月か”2026.6.1(mon)
まさに光陰矢の如し。ホント時が進むのが速い。毎日仕事に追われていると、そう感じる。
ところで私は、A5半のほぼ日手帳の一日一ページに、新聞からの情報に、考えたこと、人に話すことと話したこと、今日やるべきこととやったこと、来た電話の内容、会った人の名前・・・、それぞれに時刻も記録する。そんなことを書き留めていったら、毎日すき間がないくらいびっしりと文字が並ぶ。三色フリクションペンで内容が、会社関係、NPO関係、重要事項と分けて書く。
昨夜書籍化のことで耕ちゃんと話していて、性虐待の実態の話になった。確かに新聞にその話を書き留めた記憶があり、手帳をめくって2月1日のページに書き留めてあった。それを元に公的データを調べると、令和6年度全国の虐待件数223,691件中、1.1%の2,520件の性的虐待があった。その問題の重要性を認識できた。そんな風に私の手帳は役立っている。
