ひげぐま先生の2026年8月

目次

”夏期特別招待講習特典最終日”2026.8.31(mon)

 現在、私が「当校入学の講座提案」をした高校1年生1名、高校2年生2名のご返事をお待ちしている。今日が提案している費用の最終日である。明日からは入学金割引がなくなる。少しでも安くく「東進のプロの先生の目から鱗の授業で第一志望校合格」を手に入れてほしいと願うばかりである。その旨をご本人や保護者にもお伝えし、そのご返事を待っている。

 AIの時代の大学受験は、データ分析をもとにした科学的受験勉強である。多額のお金頂いて第一志望校合格の責任を担う我々は、そうした学習支援をする責務がある。それ故に、26年前我々の授業力や情報力に限界を感じ、プロの講師の授業力と情報力に任せ、我々は生徒の心理的・実務的サポートに徹する体制に切り替えた。その3名のご父兄に、我々の姿勢を買っていただきたいと訴えた。結果、本日中には我々の意思を受け入れてもらえなかったが、2名の方には継続してご検討いただくことになった。

”オンタリオ湖がアメリカ湖に”2026.8.30(sun)

 トランプ・米大統領が、同主旨の大統領令に署名したという。カナダとの貿易交渉が決裂したことが反映したとマスコミは報ずる。ご存じの通り、オンタリオ湖はアメリカの五大湖の一つ。南側が米ニューヨーク州、北側はカナダ・オンタリオ州に接する湖である。この男のすることがすごい。気に食わなければ戦争も辞さない。ガサ地区攻撃も、イランへの攻撃も然り。ましてやその功績をノーベル平和賞までを望むという。しかし、そんな男をアメリカ国民が大統領に選んだのである。この「ひとりごとで」で政治的なことには踏み込みたくないが、つい書きたくなったことである。すみません。

”草間弥生さん、死去”2026.8.29(sat)

 14日、多機能不全のため死去、享年97歳という。謹んでご冥福をお祈りいたします。トレードマークの無数の赤毛に水玉や網目は、幼児期から悩まされてきた幻覚に由来するという。統合失調症を疑う。しかし、自分の感覚を思うままに表現する作品を作り出してきた草間さんの姿を、世の若者たちに訴えたい。自分を表現することに、なんで遠慮をするのか。私も20歳の学生の時、「わんぱく坊主を育てる3年間のカリキュラム」を考案・起業し、今がある。

”60の手習い”2026.8.28(fri)

 このところ連続する静岡新聞のネタ話である。井原西鶴の1688年の浮世草子「好色盛衰記」に出てくる話である。「今までは夢に見し事もなき(これまでの人生で夢にも見たことがなかった)三谷(吉原の遊郭)かよい。是(これぞ)六十の手ならい(年齢を重ねてから色遊びを覚えた)」。これが時代を経るうちに、いくつになっても新しい学びを始めるのは素晴らしいという意味に変化したらしい。江戸時代の商人・伊能忠敬。家業引退後、50歳で天文学や測量術を学び、55歳から17年かけて日本全国を測量し、近代地図の基礎を築いた。今で言えば若宮正子さん(91)。58歳でパソコンを購入し、81歳でゲームアプリを開発して、「世界最高のプログラマー」とし注目を集めた。

 「70の手習い」ではないが、私も71歳にして今年、新規事業・掛川市の子ども第三の居場所「すまいるテラス」を受託した。3年間の藤枝市の学習チャレンジ事業受託をきっかけに、5年前から塾屋が塾を必要としない「自立学習」支援の実践を始めたことが、「すまいるテラス」受託につながっている。日本語を母語としない子ども達の「自立学習」支援してきたこともある。もちろん、「手習い」ではなく、「新規業」である。同級生のほとんどが一線の仕事から引退し、老後を過ごしている中、いまだに第一線で働いている。「ワーカーホリック」とも揶揄される。今日の顧問税理士の話ではないが、今回の書籍化を機に、私は35万人もの不登校の子どもたちを生み出している現代の社会を改善していきたい。

”県内初「中学部活動、地域クラブに移行」の掛川市”2026.8.27(thu)

 私たちが、子ども第三の居場所「すまいるテラス」を受託している掛川市の話題である。これも昨日の静岡新聞第16面に掲載された話題である。市内の中学校では、少子化によって部員数が減少し、単独チームとしての存続が困難になる部活動が増えてきたことと、土日も部活動の拘束される教員の負担を背景にある。生徒が多い掛川東中では部活動は男子10、女子11あるのに対し、過疎地域の栄川中は男子4,女子5と半数以下。同じ市内の中学生でも選択肢に不公平感が生じていた。一方で、佐藤嘉晃教育長曰く「地域には教員以上に専門的な指導者が多数いる」ように、掛川市の地域クラブは39種目102クラブがある。スポーツ系19種目、文化系20種目である。最大の課題は、1000~9000円の月会費よ活動場所への移動・送迎という。市では困窮家庭へは支給項目に「クラブ活動費」を新設し支援するという。

 それこそこの考え方はJリーグの理念の一つ「地域スポーツの振興」と共通し、この掛川市の方針には賛同する。Jリーグ発足の1992年当時、私がアビスパ福岡の前身「藤枝ブルックス」の下部組織「ランカーフットボール父母の会」の発足から携わっていた頃、クラブチームのため藤枝市内の「スポーツ少年団」は練習試合に応じてくれないため、当時から掛川市にあったクラブチーム「掛川FC」の代表、叔父が「てんぷくトリオ」の伊東四朗という伊東氏と折衝し、練習試合が実現したことがある。当時の県内のサッカー雑誌「静岡ゴール」さんの仲介で実現した。

 ブラジルのサッカークラブは、11歳まではサッカーボールに馴染み、サッカーボールを自分で自在にコントロールして楽しむサッカーを教えるという。12歳になった時、一人ひとりと面談し、楽しむサッカーか、プロのサッカーかを選ばせ、前者を選んだ者には「リクレーションとしてのサッカー」を、後者を選んだ者には戦術を教え、「見せるサッカー」を教えると、当時の藤枝ブルックスMFジャイール氏(かのラモス瑠偉氏は彼の友人である)から聞いた。早くから戦術を教え、勝負に拘る当時のスポーツ少年団に疑問を感じてクラブチームを応援していた私には、納得の話であった。

 その部活動のコーチングも学んでいない、その部活経験すらない教員が指導するより、専門家が年齢に応じた指導する方が、中学生にとってもいいに決まっている。新聞に掲載された男子バスケットボール「掛川第一ミストラ」の溝口博重監督(48)が言った言葉がいい。「なるべく同じ学校同士で固まらずに。これから新しいチームをつくっていくんだから積極的にコミュニケーションを取ろう」

”暑い日こそ湯船に”2026.8.26(wed)

 昨日に続き、静岡新聞ネタである。我が家もそうだが、暑い日が続く夏は、入浴はシャワーで済ましてしまう。ところが、漢方薬品メーカーのツムラのHPによると、エアコンの効いた部屋で冷たい飲み物や食べ物を取ると、想像以上に身体の芯(深部体温)が冷える。その結果、肩こりや足のむくみ、全身のだるさといった疲労の原因になるという。シャワーでは深部体温を上昇させることができず、疲れを翌日に持ち越してしまう。だから、38~40度の湯にゆっくり浸かって血行を良くすることが必要であるという。

 毎年夏は三日間、エアコンの無い山梨県北杜市のペンション・月下草舎で過ごすが、その時の夜はたっぷり湯船に浸かる。その際は交流合宿を行っていることが多いが、一人で行くこともある。そうした日は快適である。今年は交流合宿が行わなかったため、一人でゆっくり夏休みを過ごそうとしたが、不登校の相談が入り断念した。毎日エアコンの効いた仕事場で過ごし、夜はシャワーで済ます生活は疲れが取れない理由が分かった。やはり毎日、程よい温度の湯船に浸かろう。

”処暑と寶”2026.8.25(the)

 静岡新聞ネタである。8月23日は「処暑」。夏の暑さが和らぎ始める時期。その日に、我が東進衛星予備校藤枝駅南口校の生徒たちが、この夏休みの勉強の成果を確かめる「第3回共通テスト本番レベル模試」に、一番永い子で8時半から20時半まで、実に12時間の模試に挑戦した。物凄い集中力である。絶賛したい。

 かたや「寶(たから)」。宝の旧字体である。宝石を表す「王」や、財貨を表す「貝」が含まれる。「宝」には、天子(天皇)や仏などに関する言葉に敬称として添える働きもあり、「宝算」は天皇の年齢、「宝号」は仏や菩薩の名を指す。漢字の意味深さを感じる。

”西岡京治氏”2026.8.24(mon)

 まだ中学校の英語の教科書で紹介されているのだろうか。JACAの前身組織の農業専門家で、まだ国交がない頃の64年にブータンに派遣され、亡くなるまで30年近く、野菜や果物の栽培方法、農機の使い方などを農家に指導。農業発展に貢献したとして「最高に優れた人」の意味を持つ「ダショー」の称号を授与された。現地で死去後、国葬が執り行われた。その詳細を10年程前、中学校の英語の教科書で知った。国葬が行われるほどに、ブータンの発展に尽くした西岡氏。私憤で他国を侵攻する某大統領に、西岡氏の爪の垢での煎じて飲め、と言いたい。

”ヤタロー会長・中村伸宏氏、死去”2026.8.23(sun)

 13日、83歳で死去。謹んでご冥福をお祈りします。聞くに、石川県輪島市出身。北陸大震災の時は、出身地・輪島市を支援したという。「治一郎のバームクーヘン」を全国ブランドにした功績は輝かしい。アイワホールディングス会長と共に、当虹の架け橋菊川小笠教室をご支援頂いた。ありがとうございました。

”書籍化、初校”2026.8.22(sat)

 まずは第一話から第三話までの圧縮作業が始まった。事実関係を再確認し、クオリティの維持を第一に、圧縮作業を始めた。物語を膨らますより、ある意味で圧縮作業は楽なのかもしれないが、主題(クオリティ)の維持が重要である。この機会に、タイトル案を生み出したい。

”書籍化、446ページに”2026.8.21(fri)

待望の初校が上がってきた。なんと466ページ、377,4460字の大作になってしまった。今読んでいる直木賞受賞作「けんぐゎい」でさえ309ページ、270,066字の大作である。ましてや本が売れないこの時代に、まったく無名の私のこんな大作は売れない。当然に圧縮を余儀なくされる。暫くこの作業に没頭します。

”直木賞受賞作「けんぐゎい」”2026.8.20(thu)

 利発だが醜い痘痕の姉ふゆ。逆上せ癖で器量よしの妹りよ。幼くして父を亡くし、ふゆは手習いの師匠の手伝いに、りよは船宿の下女奉公に出された。師匠の養子で禍々しいほどに歪んだ性癖をもつ宗三郎から手籠めにされた冬は懐妊するが、現人神と崇められる女医者と出逢い、彼女の人生は大きく変わっていく、と帯に書かれている。309ページの大作。また、読後の感想を書かせて頂きます。

”浜の真砂は尽くるとも世に盗人の種は尽くまじ”2026.8.19(wed)

 本日の静岡新聞「大自在」の話題である。この句は、安土桃山時代の大泥棒・石川五右衛門の辞世の句と言われる。「五右衛門風呂」の語源となったように、見せしめのため五右衛門は、彼の幼い子供も含め家族と共に「釜ゆでの刑」に処せられるが、その後も泥棒は絶えない。現在も窃盗は、全刑法犯の大半を占めるという。石川五右衛門が何にゆえに盗みを働いたか。一説に、金持ちから金を奪い、金に困った人に分けるという「義賊」の物語もあり、庶民のヒーローだったとも言われる。いつの世も金に困った人たちは、いつの世も絶えることはないと言っているのか。だから、盗人は絶えないと、五右衛門は訴えていたのか。情けないのは、今回の熊本地方の大震災に乗じて、地震で倒壊した家屋の窃盗が多数起きていることである。それこそその窃盗犯人を、「釜ゆでの刑」に処せたいほどの怒りを感じる。

”芥川賞受賞作「ゾンビ回収婦」”2026.8.18(the)

 帯に「AIに浸食された世界で、夫共に職を失ったわたし―の前にもうひとつの現実が顕れた。三十余年良い子で大人になった私は、これまでと変わらずに、懸命にひたむきに役割をこなしていく。感謝されず、褒められもしない。それこそまるで「  」みたいに?」とある。「  」は何を指すのだろうか?三分の一を読んだが、分からない。

 過去2作品が、同じく芥川賞候補になっている作家の作品である。今日一日で読んでしまいそうだが、「  」を読み取りたい。彼女、小砂川チト氏の思考に触れたい。

 14時過ぎ、読了! AIに仕事を奪われた近未来を舞台に、VRゲーム内のホテルでゾンビの死体を片付ける掃除婦(回収婦人)となった主人公を描く、現実と虚構が交錯する物語。懸命にひたむきに役割をこなしていく。感謝されず、褒められもしない。それこそまるで「機械(AI)」みたいに?と痛烈に突く。

”ストレスの物差し”2026.8.17(mon)

 1967年にアメリカの精神科医トーマス・ホームズが作成したもので、ストレスを引き起こすものを点数化したものである。それを具体的にみていくと、面白い。配偶者との死別が100点は納得できる。重大なけがや病気が62点。これも確かに思う。ところが、結婚が50点なのである。「タイム・アフター・タイム」ではないが、若い男女二人が出会い、お互いを愛し合う。その最終到達点が結婚のはず。それが「ストレスの物差し」では、50点と高い。いつも言ってきたことだが、社会性を持った動物である人間は、同世代の仲間と群れ集い、成長する。それが一方では、ストレスの原因ともなるのである。自分を素直に出せない関係が、ストレスを招くのだろうか。

”吾日に三たび我が身を省みる”2026.8.16(sun)

 「日本資本主義の父」渋沢栄一の座右の銘。毎日何度も自分の行動を振り返る。孔子の弟子、曽子(曽参)の言葉。「論語と算盤」を著し、道徳と経済の両立を説いた渋沢は、道徳の修養だけでなく、物事を正しく判断する力を養うためにも日々の振り返りを重視した。生涯500もの企業を創設・育成に携わった渋沢の座右の銘。今日の静岡新聞の「大自在」からの引用である。

 今年に入って初めて毎日綴る、この「ひげぐま先生のひとりごと」。この渋沢氏の座右の銘を実行しているわけではないが、自分にとっては毎日の振り返りである。一日に一回は、今日一日を振り返る時間は必要だと思う。

”つらつらと”2026.8.15(sat)

 3日間の夏休みの最終日。と言っても、私は3日間とも東進に出勤。2件の相談を受けたり、本を読んだり、今後のことを考え、段取りを取ったり。一方で、これまで書き上げた物語の子どもたちのこころの叫びをまとめ、そこから書籍のタイトルを考えたりと。そうしたら、また相談が入った・・・・・。数学は、論理的思考を身に着ける学問である。計算ができることではない。人間は論理的に理解できないと、納得できない。論理的に納得できれば、ストンと記憶される。入った相談は、そうした内容だった。

”「タイム・アフター・タイム」読了”2026.8.14(fri)

 533ページの長編小説を一気に読んじゃいました。高校卒業を間近に控えた初冬、初恋の二人が沖縄の離れ島に逃避行。離婚した彼の父親が行き着いた島だった。二人は夢を求め、彼はサトウキビ畑の手伝いとホテルの清掃を、彼女は製糖工場で働きながら、生活する。ところが、一年近く貯金したお金を空き巣に遭い、失くしてしまう。そのショックも加わり、彼女が実家に帰り、後を追って彼も叔父の家に帰る。彼の母親は不倫事故死したため、叔父が高校生の彼を引き取っていた。二人とも高卒認定試験で、彼は九州大学を経て、建設会社の営業職に、彼女は東京の大学を経て、小さな広告会社に就職。20年後、ある美術館建設コンペで偶然に再会する。共に結婚、離婚を経ても、20年間一貫した想いで二人は結ばれる。20年来の想いに高ぶる彼を受け入れる彼女。まさに帯にあるような「痛みも後悔もやさしさも、すべてを抱きしめてあたたまる長編大作」でした。20年を彼女が島でお世話になった「チャンプ」(元ボクシング世界チャンピオン)に送った年賀状で振り返る描写も面白い。加えて、現在と20年前の出来事が交差するように描かれる手法も面白い。70を過ぎた私が、こうした40代前半男女の恋愛小説に夢中になる。久々の感覚だった。

”「タイム・アフター・タイム」吉田修一著”2026.8.13(thu)

 あの「国宝」の著者の待望の最新作にて、作家デビュー30周年記念作品。帯に「眩しい夏の初恋と、二十年後の再会-あの日、二人は何を守り、何を手放したか?」とある。本日、5分の1ほど読んだ。心理描写が非常に面白い。読後。また書かせて頂きます。

”「ノスタルジア」島本理生著”2026.8.12(wed)

 私にとって島本理生氏の久しぶりの作品だった。今年の4月に刊行された本である。20代の時両親が心中した、書けないアラフォー作家の女と、母親が実刑判決を受けた翌日に自死した10歳以上年下の青年との同居生活が始まる。彼女には8年付き合ったが、5年前とつぜん消えた(実は自死した)、恋した年上の男がいた。一方、年下の彼は中高一貫校で寮生活をし、中学生の時から母親とは暮らしていない。カバーには、本の最終場面、自死したはずの年上の男と作家の彼女が、イギリスの片田舎の海岸で出会った場面が描かれている。。彼女と彼は、その海岸で迷い別れ、彼女はひとり東京のマンションに帰る。彼は待ち合わせの海岸に戻った時は既に彼女はいなく、一人帰国し、祖父母の元で1か月暮らし、東京の彼女のマンションで再会する。「愛とは、なにか、一瞬の点滅のようにな、常に失われていくノスタルジアみたいなものかもしれ

ません」と。彼は、年上の彼女に母親的な愛を求め、彼女は彼に自死した年上の男の代替愛を求める。そんな風に「ノスタルジア」を解釈した。どうだろう?

”防衛機制”2026.8.11(the)

 強い不安やストレス、受け入れがたい現実や感情に直面したとき、心が壊れないように無意識に働いて自分を守る心理的メカニズムである。精神分析学者ジークムント・フロイトが提唱した。主な防衛機制の種類は次の通りである。①抑圧:つらい記憶や認めたくない欲求を、無意識の奥底に押し込めて忘れたようにする。②合理化:失敗や満たされない欲求に対して、自分を納得させるために「もっともらしい理由」をつける(言い訳をする)。③投影(投射):自分の中にある認めたくない感情や敵意を、他人が持っているものだと思い込む。④置き換え:満たされない思いや怒りを、安全な別の対象(八つ当たりなど)に向けて発散する。⑤反動形成:本心とは正反対の態度や行動をとって、隠したい不安や衝動をごまかす(例:好きな人に意地悪をする)。⑥退行:強いストレスから、幼い子供のようになじったり甘えたりする状態に戻る。⑦否認:自分にとって受け入れがたい現実や事実そのものが「存在しない」かのように振る舞う。⑧昇華:社会的に認められない欲求や怒りを、スポーツや芸術、勉強など建設的な活動へと向ける。

 不登校やひきこもりの相談を受けていると、しばしば出会うこの「防衛機制」。今回の書籍化でも「投影」「退行」を始めいくつかが出てくる。その強い不安やストレス、受け入れがたい現実や感情を引き起こす元を解きほぐすことが、カウンセリングだと思う。①自分の感情を認識し、適切に表現する。例えば、日記を書くことや、信頼できる友人や家族と話すことで感情を表現する習慣をつける。②建設的な対処法の学ぶ。昇華は攻撃的な衝動をスポーツや創作活動に向けることで、社会的に受け入れられる形で感情を表現する方法である。リラクゼーション技法や瞑想、深呼吸などのストレス管理技法を学び、実践することも有益である。③ 健全なコミュニケーションは、防衛機制の過度な使用を避けるために重要である。自己主張は、自分の意見や感情を適切に表現し、他人と健全な関係を築くためのスキルである。自己主張トレーニングを通じて、自分の意見を尊重しながら他人との対話を行う方法を学ぶ。④ 自己肯定感を高めることで、防衛機制の依存を減らすことができる。自己肯定感を高めるためには、自分の価値観や強みを認識し、感謝の気持ちを持つことである。ポジティブな自己対話を実践し、自分を励ます言葉を日常的に使う習慣をつける。⑤ ストレスは防衛機制を引き起こす大きな要因である。定期的な運動、健康的な食事、十分な睡眠を取ることは、ストレス管理に役立つ。また、趣味やリラクゼーション活動に時間を割くことも、ストレスを軽減し、心理的安定を保つために重要である。

”いま殴られている子どもは暴力をふるう大人になります”2026.8.10(mon)

 チェ・ウニョン著「無理して頑張らなくても」(古川綾子訳)に出てくる一節である。地下鉄のホームの3号車の4番ドアの前の公共広告に書かれた一文。虐待されている子どもの何人がこれを見ただろうかと、胸がつぶれるような思いだったと、主人公は語る。

 私も虐待を受けた人が親になり、我が子を虐待してしまう相談を何回か受けたことがある。心理学でも「虐待を受けた人は虐待する」と言われる。虐待の家庭で育つとそれが「刷り込まれる」のだろう。その未処理の感情を処理しなければ、引き継がれる。主人公が言うように、公共広告でそう訴えたところで、虐待は防げない。どうして虐待してしまうのか、それをひも解くカウンセリングで、連鎖を止める必要がある。それが未処理の感情の処理である。

”「不登校」の子ども達の想い”2026.8.9(sun)

 また自分が相手が不快な思いをする言葉をかけてしまうから、学校に行けない。授業が分からなく、教室の椅子に座っていられない。教室に入ればいろんな音や光が入り、授業をが受けられない。根もないうわさ話で学校に居られない。正しいことを言っても、友だちを傷つけてしまい、学校に行けない。学校に行かなくても、「いいね」があれば生きていける。真ん中より下の自分を知り、学校に行けなくなる。授業が遅すぎる。友達と話のレベルが合わない。・・・そうした「不登校」の子ども達が訴える想いは何だろう。彼らは学校や社会に何を求めているのだろうか。彼らは、学校や社会に、「自分はここに存在していいんだ」という実感を求めている。彼らは、学校に自分の居場所を求めて苦しんでいる。

”すまいる文化祭参加”2026.8.8(sat)

 昨日、B&G財団主題、子ども第三の居場所「すまいる文化祭」に参加した。北海道~鹿児島県与論島まで子ども第三の居場所の20団体が参加した。当「すまいるテラス」は夏休みのため、すまいるテラスの「チェーンソーマン」と「ロボットケンジ」の2作品が参加し、当日は私だけの参加となった。すまいるテラスの参加作品はこの後、ホームページで公表するが、他19団体の作品は見事だった。予定の60分を越してしまったが、子ども達の創造力は素晴らしい。

 「多類婚姻譚」も読み終える。これが現代の若者の婚姻観なのか。昭和の人間には、その婚姻観を素直に受けいられないが、受け入れなければならないのか。そんな思いを抱いた作品だった。

”「小さな人間たちの詩」の子ども達の想い 続編”2026.8.7(fri)

 「小さな人間たちの詩」で私が描こうとした子ども達の想い。大人から見れば、子ども達はまだまだ未熟だと思われるが、決してそうではない。親を思うあまりに自分の父親(母親)のことを聞かない。結果、自分の父親(母親)がイメージできず、自己、即ちアイデンティティが不安定になる。産後鬱から母親との基本的信頼感が築けなかったことから、思春期後人と関わりづらくなり、不登校、引きこもりに陥る。健気に実母のぬくもりを求める子ども達。男気のある父親を求め、援助交際をする子ども達。「親ガチャ」ではないが、子ども達は親を選べずこの世に生をもうける。しかし、どの子ども達も、本当はみんなと一緒に学校に行き、みんなと一緒に勉強し、運動し、歌い、絵を描き、いろんな技量を身に着け、友だちを作りたい、と思っている。人間は、同世代の仲間と群れ集い、成長するからである。

”「小さな人間たちの詩」の子ども達の想い”2026.8.6(thu)

 「この詩は、50 数年間にわたる子ども達との様々な関わりの中で、私の心に強く映し出された、こぐちっぽけな光景です。しかし、それは、まさに『小さな人間たち』の姿なんです。子ども達は、確かに”未熟な人間”かもしれません。でも、一個の心を持った、”小さな”人間なんです」と謳い、書き出した「小さな人間たちの詩(うた)」。子ども達は立派な心を持った「人間」なんだ、と訴えたく描き始めたこの物語。今回の書籍化で、「不登校」の子ども達の真実の想いを皆様に伝えたい。

”「多類婚姻譚」続編”2026.8.5(wed)

 娘が同棲している無職の女性を連れてきた両親の戸惑いの物語。プロポーズを待ちながら職場結婚を夢見つつ、結局は二股をかけられ、別れを告げられた女性の物語。夫が若い女性と浮気され、子どもができ離婚を迫られる。昔想いを寄せた、別居中の同級生に出会う物語。まだ半分しか読んでないが、現代的な結婚観を描いた本書だった。昔?の結婚観を抱く親の戸惑い。都合よく女性をもてあそぶ男たち。そんな姿をよく描いた作品だった。

”「不登校」の子ども達は、何を求めているか”2026.8.4(tue)

 「不登校」の子ども達は、「登校拒否」と言われた時代と違って、今は登校を拒否しているわけではない。学校以外に学びの場所を求めている子ども達もいれば、学校に行きたくても、行けない子ども達がいる。前者の子ども達は、オルタナティブスクールやいわゆるフリースクールに行く。後者の子ども達が私のもとに相談に来る。後者の子ども達の想いは何だろう。彼らは、何を求めているのだろうか。彼らが、野外活動や交流合宿の場で、仲間の役に立つことや仲間から頼られること、仲間から「ありがとう」「助かったよ」と言われることで、自分の立ち位置、居場所を見つける。学校や同世代の仲間たちの中で「自分は存在していいんだ」と実感することで、「不登校」や「ひきこもり」から脱して、社会的自立を果たしていくように思う。ということは、彼らは学校や同世代の仲間たちの中に、自分の居場所を求めているのだろうか。

”学校は行くが、それ以外は家から出ない”2026.8.3(mon)

 中学2年の女子生徒の父親からの相談である。社会性を有する動物である人間が、「社会性」が育っていない?子どもの相談である。隣近所との付き合いをしない大人もいるから珍しい話ではない。隣近所の付き合いをしなくても、町内に住んでいれば順番に「組長」も回ってくるが、町内会費を払っていないアパート暮らしの人も現実にいるから、隣近所との付き合いをしなくても生きていける。

 学校は義務的に行くが、それ以外は同世代の仲間たちと群れ集うことに楽しみを感じていないかもしれない。いままでにそうした何人もの子ども達と出会ったこともある。まだ直接そのお子さんとお会いしてないので、その理由は分からないが、意図的に学校以外には家から出ないのであれば、その理由が気になる。

”リモート授業は受けれるが、登校できない”2026.8.2(sun)

 高校生の相談である。学校に行かなければならないと意識は高く、学校に行く意味も十分認識している。なのに、登校しようとすると、激しい頭痛に見舞われ、行けなくなる。二日掛けて話を伺うと、自分の感情を素直に出せず、周りを異常に気にする。それがストレスとなり、激しい頭痛をもたらすようだ。

 なぜ「自分の感情を素直に出せず、周りを異常に気にする」のか。そのもみほぐしがカウンセリングになる。1週間、二つの課題を与えた。1週間後、どうなって来るか、また話を伺う。

”「多類婚姻譚」”2026.8.1(sat)

 久しぶりの読書である。凪良ゆう氏の最新作。帯に「あらゆる価値観の対立の中で現代を生きる私たちに突きつけられた、究極の5編の謎」とある。読み終わったら、また書きます。